2005年9月15日(木) 15:30−17:00
三中信宏氏(農業環境技術研究所)
「幾何学的形態測定学のルーツと現在: 生物学・数学・統計学の接点で」


http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/
http://d.hatena.ne.jp/leeswijzer/

アブストラクト:
生物形態の「かたち」をどのように定量化するかは,生物学・医学 における比較形態の長い研究史の中で論じられてきた.生きものの 形態的特徴は生物科学におけるさまざまな研究目的にとってかけが えのない情報源であり,それだけに「かたち」を定量化しようとす る生物学者による試み,すなわち「形態測定学(morphometrics)」 もまた同様に長い系譜をもっている(三中 1999).
形態測定学のたどってきた歴史をさかのぼると,15〜16世紀のレオ ナルド・ダ・ヴィンチやアルブレヒト・デューラーによる人体計測 にまでたどりつくだろう.しかし,現代の形態測定学に直接的な影 響を及ぼしたのは,有名なD'Arcy Wentworth Thompson (1860-1948) による定量形態学の数学理論(とりわけ変形記述のためのデカルト 変換格子の方法)だった(Thompson 1942).「かたち」という視覚 認知現象は,たとえ対象物が生物(biology)であったとしても, 原理的には幾何(geometry)の問題である.しかも,そこには統計 (statistics)が対象とすべき複雑な誤差構造が潜んでいる (Bookstein 1991).
「かたち」としてわれわれが認識するものは,その情報源が生物で あれ非生物であれ,幾何学的情報として数値化できるはずである. ここに,一般化可能な「かたちの定量的科学」として形態測定学の 研究領域が成立し得る.形態的データのもつ幾何学的情報を数学的 視点からすくいあげると同時に,そのデータがもつ誤差構造を統計 学が論じる.そして,これらのツールを用いることにより,その形 態データを生み出した個別科学(生物学・医学・農学・考古学・工 学など)における「かたち」の問題を解決するという研究プログラ ムが近年になって確立されるようになった.
「かたち」と言う表現には,サイズ(大きさ)とシェイプ(形状) という相異なる二つの幾何学的属性が含まれている.日常語として 理解されているサイズとシェイプという言葉は,研究者によっても その意味内容が異なっている.ここでは変換幾何学的な定義を与え る.つまり,ある図形変換のもとで不変量となる量をサイズあるい はシェイプと定義すればよい(Dryden & Mardia 1998).
2次元または3次元空間の中に存在する,ある物体がもつ幾何学的 な「かたち」に対してはさまざまな座標変換を作用させることがで きる.いま,変位(位置移動)・回転・スケーリング(拡大縮小) という3種類の変換を考える.生物の「かたち」が示す図形が,変 位と回転に対して不変であることは直感的に理解できる.すなわち, 図形とは変位と回転に対する不変量である.この不変量をサイズ= シェイプ(size-shape)と命名する.サイズ=シェイプに対して, さらにスケーリング不変性を制約として与えると,シェイプ(shape) が定義できる.すなわち,シェイプとは変位・回転・スケーリング に対する不変量である.一方,サイズ(size)とは,これら二つの 定義から,変位と回転には不変だが,スケーリングには不変でない 量と定義される.
変換不変量としてサイズ,シェイプ,そしてサイズ=シェイプを明示 的に定義するだけでも,「かたち」がもつ幾何学的情報の性格はか なり明確にできる.生物形態学でいう生き物の「かたち」とは,サ イズとシェイプをどちらも観察している.上の定義に従えば,それ はサイズ=シェイプという不変量を相互に比較してわけである.一方, スケーリングによる「かたち」のサイズの基準化は,サイズ=シェイ プではなく,シェイプという別の不変量を考察することにほかなら ない.「かたち」の比較が変換幾何学的な意味での不変量の比較で あるとみなされるかぎり,どの不変量を論じるかは研究目的によっ て決まり,それに応じて解析方法も異なる.
「かたち」の幾何学的情報は,たとえ視覚的には単純に処理できる ようであっても,数値的には何らかの多変量データとして記述され る必要がある.「かたち」から抽出された多変量データに対して, 従来的な線形統計学的手法を適用しようとした1960〜70年代の多変 量形態測定学の反省の上に,「かたち」のもつ幾何学的情報(サイ ズとシェイプ)をすくいあげるためには,形態測定学の方法論その ものが幾何学的であるという認識が広まってきた.「かたち」をめ ぐる統計学と幾何学との共同作業が1980年代にわたって続けられ, その結果として,後に「形態測定学の革命」(Rohlf and Marcus 1993, Adams et al. 2004)と呼ばれるようになる形態測定学の変革 期を1990年代に迎えることになる.
1)距離データからの形態測定学  形態の上に設定された標識点(形態間での対応づけが可能な点) の間で計測されたユークリッド距離を変量とする形態測定学の手法 がいくつかある.古典的な多変量統計学を利用した形態距離データ の解析は広く用いられてきた.たとえば,相対生長理論は一変量ま たは多変量距離データを対象とした.また,主成分分析や因子分析 あるいは正準相関分析など多変量データの次元を低減させる手法も 合わせて用いられている.最近では,標識点間の距離を網羅的に計 測することにより,形態を数値化しようとするユークリッド距離行 列法も開発されている.
2)輪郭データからの形態測定学  標識点の座標データを距離変量に変換するのではなく,座標値を そのまま利用する手法がいくつかある.たとえば,楕円フーリエ解 析は,標識点の座標値によってマークされる形態の輪郭曲線(ある いは曲面)をフーリエ級数によって近似し,級数の係数群をデータ として多変量解析や量的遺伝分析(QTL)などにもちこむ.
3)座標データからの形態測定学  同じく標識点の座標データから出発するもうひとつの方法は,幾 何学的形態測定学(geometric morphometrics)と呼ばれている. 1980年代以降,急速に発展してきた幾何学的形態測定学は,形状多 様体(shape manifold)という非線形空間上の形状確率分布を接線 形空間に射影することで近似的な線形統計解析を行なう(Kendall et al 1999).幾何学的形態測定学は,形状多様体の上での厳密な 「かたちの数学」およびそれを局所線形化した近似的な「かたちの 数学」というふたつの顔をもっている.接線形空間におけるさまざ まな分析手法(一般化プロクラステス分析,薄板スプラインを用い た局所変形の可視化,主歪み/相対歪み解析など)が開発され (Marcus et al 1996, MacLeod and Forey 2002, Zelditch et al. 2004),それらを実行するソフトウェアもすでに配布されている (Morphometrics at SUNY Stony Brook).
これらの手法は,古生物学・数理地質学・形質人類学・医療画像解 析をはじめ,農学や考古学あるいは工学や製品科学を含む多くの学 問分野で実際に用いられている.現在使われている形態測定学的方 法は,個別科学における特定の問題を解決する道具として開発され てきた.この点で,数理統計学的手法の多くが,最初はある具体的 な問題に根ざして生まれてきた経緯とよく似ている.「かたち」を 測る方法の開発は,生物学のみならず地質学・考古学・工学・医学 など,個々の学問領域で別々に進められてきた.形態測定学は,既 存の学問分野の壁を越えたところに開花した研究領域であると私は 考えている.
本講演では,D'Arcy Thompson以来の形状数学の理論を起点として, 生物学・幾何学・統計学の接点領域で成長してきた「かたちの数学」 の現代史をたどり,「かたち」の定量化をめぐる過去の試行錯誤を 振り返ることにより、今日の形態測定学を生み出した背景と今後に ついて論じる.

引用文献
Adams, D. C., F. J. Rohlf, and D. E. Slice 2004. Geometric morphometrics: Ten years of progress following the 'revolution'. Italian Journal of Zoology, 71: 5-16.
Bookstein, F. L. 1991. Morphometric Tools for Landmark Data: Geometry and Biology. Cambridge University Press, Cambridge. Dryden, I. and K. V. Mardia 1998. Statistical Shape Analysis. John Wiley & Sons, Chichester.
Kendall, D.G., D. Bardon, T.K. Carne and H. Le 1999. Shape and Shape Theory. John Wiley & Sons, Chichester.
MacLeod, N. and P. L. Forey (eds.) 2002. Morphology, Shape and Phylogeny. Taylor & Francis, London.
Marcus, L. F., M. Corti, A. Loy, G. J. P. Naylor, and D. E. Slice (eds.) 1996. Advances in Morphometrics. Plenum Press, New York.
三中信宏 1999. 形態測定学. Pp. 60-99: 棚部一成・森啓(編), 古生物の形態と解析. 朝倉書店, 東京.
Rohlf, F. J. and L. F. Marcus 1993. A revolution in morphometrics. Trends in Ecology and Evolution, 8: 129-132.
Thompson, D'A. W. 1992(1942). On Growth and Form. Dover, New York. Zelditch, M. L., D. L. Swiderski, H. D. Sheets, and W. L. Fink 2004. Geometric Morphometrics for Biologists: A Primer. Elsevier, Amsterdam.

引用サイト
Morphometrics at SUNY Stony Brook ( http://life.bio.sunysb.edu/morph/)

関連シンポジウム
幾何学的形態測定学における統計学(14 Sept 2005:統計関連学会連合大会)